【デュエマ】おじいちゃん向け「江戸時代のデュエマ あるある」まとめ

こんにちは、神結です。

 

3/4に岡山で「おじいちゃんCS」が開催されるとのことでした。

これは簡単に言うと地縛霊となっているデュエマおじいちゃんたちを呼び出して、集団成仏してもらおうという企画になっています。

当時のCSを踏襲しているため「如何に不便か」というのをまぁまぁ再現しており、企画ものとして楽しむにはかなり面白いと思っています。

さて、今回はそんなおじいちゃん達から私が聞いた「江戸時代のデュエマあるある」の話をここに記録しておこうと思います。恐らく当時の証言に基づいた貴重な資料となることは間違いなしです。

読んでるおじいちゃんの方々が、感傷に浸ってくれれば幸いです。



江戸時代のデュエマ あるある

江戸でも地方でも、デュエマは盛んに行われていたようです。

①略称が「でーま」や「でぇーるま」になる

特に江戸っ子は「でゅ」の発音ができない。

彼らの間では「でぇーるま」と言うのが”粋”とされていたらしい。

 

②対戦終わる→喧嘩勃発なので、実質的な2先になりがち

江戸っ子は血気盛んなので、対戦が終わるとだいたいレスバが発生してからの殴り合いになりがち、とのこと。なんか暗黙の了解的な話でトリガーを3枚以上踏ませて勝った試合は殴られても文句は言えなかったらしいんだけど、かといって殴られて黙っていられるほど江戸っ子たちは穏やかでもなかった。対戦→リアルファイトの両方で勝たなきゃいけないため、実質的な2本先取のゲームだったという説がある。

結果として、リアルファイト対策は必須だったらしい。1回戦で勝ったあとに2回戦を前に何故か棄権した、というケースもまぁまぁあったらしい。

ちなみにおじいちゃんは知り合いの相撲取りを会場に連れて行ったこともあったとか。

 

③対戦募集が神社の絵馬で行われている

もちろん対戦コミュニティなどは存在したが、そういうコミュニティは時に閉鎖的でハードルも高く、行っても追い返されるなんてことはしばしばあったとのこと。まぁ、知らない人をいきなり受け入れてあげるほど寛容でもない世界ではあるから、こればかりはしょうがない。

じゃあ新規のプレイヤーたちはどうしていたかと言うと、彼らは神社の絵馬を「対戦募集板」として活用していたらしく、場所を時間を書いて奉納していたらしい。対戦相手を探しているプレイヤーは神社に行って、その募集を見て指定の場所に行ったとか。

なお当然のように、初心者狩りも行われていた。しかし逆に、そこで返り討ちにすると話題となってコミュニティに入れて貰えるようになったりとか。もちろん実力があっても所属しない人もいて、そういう人は「流しの絵馬プレイヤー」として認識されていたらしい。

 

④お坊さんがループデッキを使うと、手順を説明するのがやたら上手い

やたら「こなれた感」があって上手いらしいんだけど、それはそれとしてずっと聞いてると眠くなってくるとか。

 

⑤CS中によく近所で火事が発生するので、それに伴って中断・中止される

特に冬場の江戸は乾燥が酷く、街の至るところで火事が頻発していたという。

別に会場で発生していなくても、会場の近辺で火事が発生するだけで建物そのものが取り壊しになるため、火事の知らせがあるとみんなカードを抱えて逃げたという。なお猛者は逃げ付いた先で続きのゲームをしたとか。

ちなみに江戸は火事が多すぎるため資産としてカードを保管するのが難しく、結果宵越しの銭は持たぬ人が多かった。当然ながら、高価カードを持っている人などほぼいなかった。

そのためプロモの類いはだいたい京都大阪へと流れていった、という研究もある。江戸の人たちは京都のショップでプロモカードを恨めしく眺めていたらしい。

 

⑥農閑期になると大会にやたら強いプレイヤーが増えがち

地方で農業をしていると、春秋は中々江戸の大会には参加出来なかったが、農閑期になると話は別。地方の強豪プレイヤーたちがこぞって「出稼ぎ」にやってきたとか。

大会のためだけに江戸に来ただけあって彼らは軒並み強く、江戸のプレイヤーたちをボコボコにして賞品を持って帰っていったらしい。ちなみに彼らは集団でやってくることもあるため、喧嘩になってもまぁまぁ強かったそう。

逆に江戸から地方に遠征すると、歓迎して貰えることも多かったとか。江戸も後期となってくると、デュエマのために遊学する人も増えていったというのが、現在の研究でもわかっている。

 

⑦お伊勢参り→CS参加の黄金ムーブが存在する

正月になるとお伊勢参りの帰りに、そこに集まった人同士で適当に組んでチーム戦が開催されていた。

これは後のおやつ5人チーム戦の起こりと言われている。

 

⑧dottoさん強すぎ

いつの時代もdottoさんが一番強い。

 

⑨大会の日付を間違えて来た人が多すぎて、そこで集まった人だけで突発大会開かれがち

当時の大会告知は不正確な面も多く、いまでいうデマや誤りも多かった。

特に江戸に入ってくる西の大会の情報は正確性を欠いたものも多かったが、かといって参加しない手はないため集団で(もちろん徒歩で)参加することも多かった。

会場に着いたら全然開催されていなかった、或いは全然違う日でとっくに終わっていたなんていうことも多かったらしいが、それはそれとしてそこに集まった人で急遽大会も開催されたとかなんとか。

江戸時代の人々のバイタリティは高かったらしい。

 

まとめ

というわけで今回は江戸時代のデュエマあるあるをまとめてみました。

「懐かしいなぁ」とか「こんなのもあったよ!」など色々な感想があると思いますが、そういった方は是非リプライをください。

 

それではまた次回の記事でお会いしましょう。